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あま市は、愛知県の西部に位置し、ほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯です。広大な濃尾平野とそこを流れる河川の恩恵を受けて、近郊農業を中心に発展してきましたが、近年は名古屋市のベッドタウンとしても発展し、人口は増加にあり、現在約88,000人を擁しています。
歴史は古く、弥生時代のものとみられる阿弥陀寺遺跡と森南遺跡からは、この地域の集落が周囲に堀を巡らせて作られた「環濠集落」であり、当時の人々は生活範囲をあま市の北部から南部に徐々に拡大させていったことが分かっています。
尾張四観音のひとつで三重塔がそびえる甚目寺観音は、飛鳥時代に当たる597年頃からその精神が引き継がれていると言われています。
鎌倉時代に入ると、各地から鎌倉に通じる鎌倉街道で「萱津宿」という宿場所のひとつができ、人の行き交いが盛んになります。また立地的に恵まれた環境であったことからも、尾張地方の政治経済の中心としての役割も果たしました。戦国時代には、武将 蜂須賀小六正勝、福島正則をはじめ、7人もの大名を輩出しています。
江戸時代に入ると、現在まで伝統が受け継がれている「七宝焼き」が作られるようになります。七宝焼きは金属の素地を使った伝統工芸技法のひとつで、現在では経済産業省指定の伝統工芸品として指定されています。1867年、パリで開催された万博に出品されると一躍脚光を集め、世界にも知られるようになりました。
平成22年、海部郡七宝町と美和町、甚目寺町が合併してあま市が誕生します。これは、愛知県の「平成の大合併」の最後の合併でありました。
田園風景が広がる景観が特徴的でもありますが、同時に名古屋市への地理的な近さを生かして発達し、田園景色と住宅地が混在する環境です。
尾張四観音の一つとして知られる甚目寺観音の起こりは、推古天皇5年(597)に伊勢の甚目龍麻呂という猟師が海中から聖観音菩薩を引き上げ、それを草庵に祀ったのが甚目寺観音の始まり と言われています。
2月に行なわれる「甚目寺観音節分会」は、前夜祭、初観音とともに、福をもとめる参拝者で毎年賑わいます。
また、毎月12日には、“暮らしの中のてづくりをおすそわけ“ のコンセプトで「甚目寺観音てづくり朝市」が開催されます。野菜、パン、雑貨など心のこもったてづくり品が並ぶ素朴であったかなお寺マーケットです。
あま市には、歴史のある寺院が多くあり、各所でさまざまな行事が行なわれています。
〔八剱社:木田の山車揃え・湯の花神事〕
毎年10月、木田の八剱社では2つの伝統行事が行なわれます。
「木田の山車揃え」では、華やかに飾り付けられた6台の山車を笛と太鼓で木田中を賑やかに曳きまわして、八剱社に参詣します。
「湯立ての神事」では、拝殿前にカマドをつくって5つの湯釜を据え、豆木と藁で湯を沸かします。このカマドは、地面を掘り下げて築いたもので、神事の前日に氏子によって築かれます。神主による祝詞の後、参拝者に湯が振舞われます。
〔蓮華寺:二十五菩薩来迎会〕
毎年4月第3日曜日に蓮華寺で開催される蜂須賀弘法御開帳の記念法会。二十五菩薩が現世に現れ、民衆を極楽浄土に導く様子を再現する伝統行事です。阿波藩主となった蜂須賀家にちなみ名古屋太閤連による阿波踊りも披露されます。
〔なごみ昼食会〕
市内に居住している65歳以上の独り暮らしの方を対象に、毎週金曜日、あま市甚目寺総合福祉会館にて「なごみ昼食会」を開催しています。定員10名と小規模な会で、楽しくお話をしながら一緒に食事をします。一人ぐらしの高齢者が地域と交流する場所づくりの一つです。
[高齢者(65歳以上)比率]
あま市:25.60% (愛知県:23.80% 全国:26.60%)
[入所系高齢者施設 施設数/定員数]
❖介護保険施設 施設数:11 定員:378
❖特定施設 施設数:0 定員:0
[入所系高齢者施設 75歳以上1千人あたりの施設数/定員数]
❖介護保険施設 施設数:1.20(全国平均:2.09) 定員数:41.18(全国平均:70.89)
❖特定施設 施設数:0.00(全国平均:0.30) 定員数:0.00(全国平均:17.32)
※)介護保険施設:小規模多機能型居宅介護、グループホーム,特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、介護療養型医療施設 など
※) 特 定 施 設:有料老人ホーム、軽費老人ホーム、サ高住 など
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